新型コロナ感染症拡大の勢いが止まらない。
感染者数が35万人を超え、死者数も4800人を上回ってきた(2021/1/22現在)。
テレビも連日トップニュースとして取り扱っているが、情報番組系でひたすら不安を煽る展開には少々辟易するところもある。
この状況に対して「コロナを恐れ過ぎだ」と言う専門家もいる。
統計的に、例年のインフルエンザ関連死1万人と肺炎死10万人という数値と比較して、「死者数は多くないので、もう少し冷静になってみればどうか・・」という(一見)冷静を思わせる意見である。
ただ、よーく、ここで考えてみたい。
結論から述べると、コロナが恐れられているのはその「死に方」がエグイからだ、と私は思う。
新型コロナ感染症になった時、インフルエンザや肺炎の時と同じように十分な治療を受けて、その結果、家族に見守られながら息を引き取るという流れがあれば覚悟もでき、家族もそれなりに受け入れられるだろうが、実際はそうではない。
入院先が見つからず未治療死の報告も増えてきた。
うまく入院できても経過が早ければ、PCRが陽性になった時にはもう呼吸困難症状が出て人工呼吸器にのせられる。この時点で誰とも会えないまま意識は無くなっている。
生還して意識が戻るか、それともそのまま戻らない(死ぬ)かは、もう時の運と言える。
戻らなければ、別れの儀式が一切ないまま荼毘にふされる・・・。
恐ろしいことに、老人たちにとって、こうした「死のシナリオ」はある日突然我が身に起こってくる。
これを少しでも改善するには、ICUの容量と能力を確保しておくことだが、今それが破綻している・・・。
・・・どうすればよいか?
答えは、今感染しないことだ。ベッドが空くまでコロナに罹るのを待とう!