「伊藤病院」閉院
■癒し系病院として皆さんに愛された医療法人誠仁会「伊藤病院」は、2014年6月1日に閉院しました。
■日本初の腹腔鏡手術を行い、わが国のリーダー的存在だった伊藤病院の腹腔鏡下手術は伊藤將史医師退職に伴い「いとう女性クリニック」に継承された。 カテゴリ
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また、悲しいプール事故死があった。
聞くとことによると、授業中の足撃(ソクゲキ、バタ足)練習中に起こったらしい。 俗にいうバタ足には、競泳用の脚全体を大きく交互に打つものと、 膝を曲げて足の甲を交互に打って浮力を生む日本泳法の 足撃(http://www.nezumijima.com/koboriryu/kaisetu.htm)というものがある。 これらをいっしょくたにして子どもの授業にはバタ足を教えていることが殆どである。 共通しているのは、手をプールの端にかけて体躯を伸ばして足を打つことである。 結構つらいので本気でやると30秒~1分程で苦しくなるが、 教員の手が届く距離に子ども達がいて、目が届くことから水泳授業の基本練習の一つである。 どうして今回の事故が教員の目前で一瞬で起こったのか、私なりに考えてみたい。 水の中では怖さの為、すぐに苦しくなり体が沈んでくる。この時、息ができなくなり立ち上がろうとするのだが、思わず水を吸い込んでしまうことが多い。 水を飲むと(呑むのではなく、ここでは気管支に水がはいること)と反射的に咳き込んで、さらに悪いことにプールの底に足が着かないと、沈む時に咳き込んだ反射でさらに次の水を飲んでしまう。 溺れるということは息が続かなくなること(窒息)ではなく、肺胞が水に濡れて酸素を体に取り入れられなくなることで、声も出ないまま一瞬で起こり沈んでしまう。 では、今回の事故はどうして起こったのか? それは現場の教員たちがこうした知識がなかったことに他ならない。 そして授業を受ける生徒の最低身長-50㎝の深さ(浅さ)を確保していれば防げた可能性は高い。 子どもの水泳の授業は水難事故を防ぐのことが大きな目的の一つであるであるはずだが、 高知市は小中学校の水泳授業の一年間中止を全員一致で行ったのである。 教育、スポーツそして事故防護の観点からからも、唐突で余りに拙いバカげた対応だと言わざるを得ない。 解決方法は、プールの水深を速やかに調査し、最低身長−50㎝より深いところでの授業のみをいったん中止し、対策を施すことであろう。もちろん指導教員の教育は当然のことだ。 追記:私は過去に競技水泳や日赤水上救助員の経験がある。また、古式泳法(京都、踏水会)の段位を持ち、踏水会での水泳の授業や中学での水泳指導、監督を行ってきたので、今回のニュースには黙っていられなくなった。亡くなった小学生の冥福を祈りたい。 #
by Dr_M_Itoh
| 2024-07-08 19:35
| 子どもの事故防護活動
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また、悲しいプール事故死があった。
授業中の足撃(ソクゲキ、バタ足)練習中に起こったらしい。 俗にいうバタ足には、競泳用の脚全体を大きく交互に打つものと、膝を曲げて足の甲を交互に打って浮力を生む日本泳法の足撃(http://www.nezumijima.com/koboriryu/kaisetu.htm)というものがある。 これらをいっしょくたにして子どもの授業にはバタ足を教えていることが殆どである。 共通しているのは、手をプールの端にかけて体躯を伸ばして足を打つことである。 結構つらいので本気でやると30秒~1分程で苦しくなるが、教員の手が届く距離に子ども達がいて目が届くことから、水泳授業の基本練習の一つである。 では、どうして今回の事故が教員の目前で一瞬で起こったのか、私なりに考えてみたい。 バタ足をしているとすぐに苦しくなり顔(口鼻)が沈んできて息がしづらくなる。 この時、自分から立ち上がったり、プールの端にしがみついたりしてバタ足を止めればいいのだが、みんなで頑張っていると水を飲んでしまうことがある。 水を飲む(呑むのではなく、ここでは気管支に水がはいること)と反射的に咳き込んで思わず立ち上がる。 この時にプールの底に足が着かないと、足を伸ばした姿勢でスーとそこまで沈んでしまう。沈む時にさらに先に咳き込んだ反射で次の水を飲んでしまう。 溺れるということは息が続かなくなること(窒息)ではなく、肺胞が水に濡れて酸素を体に取り入れられなくなることで、声も出ないまま一瞬で起こり沈んでしまう。 乳幼児が風呂の少ない残り湯で溺死するのもこうした事だ。 では、今回の事故はどうして起こったのか? それは現場の教員がこうした危険性の予知知識がなかったことに他ならない。 授業する子どもたちの最低身長-50㎝の深さ(浅さ)を確保していれば防げた可能性は高い。 子どもの水泳の授業は水の事故を防ぐのことが大きな目標の一つである。 高知市の「小中水泳授業一年間中止」の決定は、教育、スポーツそして子どもの事故防護のどの観点からからも余りに拙いバカげた対応だと言わざるを得ない。 解決方法は、授業で使用するプールの水深を速やかに調査し、最低身長−50㎝より深いところでの授業のみをいったん中止し、速やかな対策を施すことであろう。 追記1:私は過去に競技水泳や日赤水上救助員の経験がある。また、古式泳法(京都、踏水会)の段位を持ち、踏水会での水泳の授業や中学での水泳指導、監督を行ってきたので、今回のニュースには黙っていられなくなった。 追記2:事故はバタ足練習の時ではなく水に浮いて進む蹴伸びのときという情報もある。 #
by Dr_M_Itoh
| 2024-07-08 19:35
| 子どもの事故防護活動
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2歳児が車の窓に首を挟まれ意識不明の重体(のちに死亡)という記事が飛びこんできた。
いつもながらその時の状況に思いを巡らすと、ご家族にとって余りに悲惨な事故だ。 何故なら親は「加害者」であると同時に「被害者」であるからだ。 記事のコメントをみると、 「チャイルドシートに座らせておけばこんなことにはならなかっただろう・・」 「運転席のウインドロックをしておけば防げた・・・」 「親が子どもを遊ばせすぎ・・・」などの厳しい意見が目立った。 しかし、私には違う意見がある(私は1990年代にチャイルドシートを中心に子どもの事故防護活動をしてきた)。 結論から申し上げればこれはメーカーにも責任がある。 それは、オートウインドの自動停止装置が装備されていないか、働きが不完全だからだ。 オートウインドが普及し始めた頃、大人でさえ指を挟んだりする事故が多発した。 このため一部メーカーは自動停止装置を装備した。つまり閉まる途中で「抵抗」があるとモーターが止まるのだ。 この仕組みは、太い大根!使って盛んにデモされたものだ。 最近では建物の自動ドアのように危険な場合に停止して再び開く仕組みが採用されている。 今回の件でもし窓が途中で停止し、戻っていたら子どもは救われただろう。 詳しく述べるとそれでもスイッチの押し方でこの機能は作動しない(閉まってしまう) ことがある。 自動車はコストダウンより、2重、3重の安全を重視されるべきだ。 この事故は、(表に現れない)オートウインドの機構に対する車メーカーに責任の 一端が問われるべきだ! 敢えて医療従事者として付け加えたいことがある。 それは「加害者」として母親の法的責任を問われるだろうが、一方で「被害者家族」の 悲しみを和らげてあげないと立ち直れないだろう。窓に挟まれた事故の責任(の一部)を 車メーカーが受けとめ、安全構造をさらに進化させなければならない、と私は思う。 *同じ首挟まれ事故は、2023年12月父親が運転する自動車でも起こっている。 #
by Dr_M_Itoh
| 2024-05-21 15:02
| 子どもの事故防護活動
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前回のあらすじ:1988年、医療機器会社を通じてドイツキール大学のSemm教授の腹腔鏡手術のビデオを医局会で見る貴重な機会に恵まれた。この手術に衝撃を受けた私は(ダビング配布が禁止されていた)手術ビデオを無断でダビングし手に入れることに成功した。
手元の手術ビデオを何度も繰返し見ているうちに私のなかに「やはり、、、これなら私にも、そして私の環境でもできる!」という自信が湧いてきた。
将来、実家の産婦人科病院に戻る予定をしていた私は、「手術は好きだが癌手術はできない。卵巣嚢腫や筋腫などの良性腫瘍を対象とする腹腔鏡手術なら私の人生の目標にできる」。 そう決心した私は、早速に医療機器の担当者に連絡を入れ、手術機器の購入を前提とした貸出しをお願いした。 しかし、本手術は当時の日本では殆ど見向きもされず、オタクの手術とされ、手術機器もようやく申請中であった。 #
by Dr_M_Itoh
| 2024-04-06 14:24
| 腹腔鏡手術の歴史
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1988年、滋賀県の公立病院に勤務していた私のもとに、子宮内膜症の先進手術を扱う医療機器会社の手術ビデオを見る機会がたまたま舞い込んだ。
それは腹腔鏡手術の異端と称されたドイツ キール大学のK.Semm教授の手術デモビデオだった。 本やスライドで見たことはあったが動画は初めてだ。 1-2センチの小さな傷から手術をしてしまう、当時「Key whole surgery=鍵穴手術」と呼ばれた技法だ。 この手術をみて、不遜にもこれなら私でも出来る!と思った。 同時に何故日本ではこの術式は見向きもされないのだろう?と不思議にも思った。 担当者に「このVHSビデオをダビングしてくれませんか?」と尋ねたが、 「いえ、ダビングは固くドイツから禁じられています」との答え。残念・・・、でも咄嗟に妙案を思いついた。 「じゃ、今度の医局会でもう一度他の医者達にも見せたいので上映してくれませんか?」 「はい、もちろん大丈夫です」 「有難う!」 当日、医局会のビデオデッキのLine out から隣室へ長~いRCAケーブルを引っ張り、 録画待機にしておいた。勿論、私の他は誰も知らない。 「じゃ、上映をお願いします」 ・・・ 「今日はどうも有難う御座いました!」 医局会が終わって隣室のビデオデッキに駆けつけた。・・・うまくいった! そこには今上映された手術のダビングテープが出来上がっていた! 1988年の事である。 (当時は、パソコンはおろかデジタルビデオの技術もなく、VHSビデオに代表されるアナログの 時代であった。PCが開発されウインドウズ95が発売されたのは1995年だから・・) #
by Dr_M_Itoh
| 2024-03-05 15:57
| 腹腔鏡手術の歴史
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